先日、ある生徒から「先生、大人になるってなんですか?」という質問を受けました。その生徒とは、その質問をキッカケに色々と話が展開していきましたが、こういう問いかけはとても大事な質問で、思春期には頻繁に頭をよぎる疑問でもあります。
心の専門家という立場から、大人であることの条件(あくまでも心の状態を示します)を三つほど挙げてみたいと思いますので、参考にしていただければと思います。
想像力
まず一つ目の条件は、想像力を働かせる能力です。
他者の立場に立ったらものごとがどのように見えたり、感じられるか、そのように視点を変えて想像力を働かせられる能力です。他人の喜びを喜び、他人の痛みを痛むことができる能力です。「共感する能力」とも言い換えることができますね。
この能力は、人間なら生まれつき誰もが持っていますが、鍛練しないとしぼんでしまいます。
こうした能力が育っていないと、どうしても自分中心に物事を考えてしまうので、人間関係で苦労します。すぐに他人のせいにしたり、自分の負を認められないので、「ごめんなさい」が言えません。
こうした能力は、幼少期からの読み聞かせなどを通して養うことができると言われています。また、親の態度や行動などのモデルからも身に着けることができます。
皆さんの周りにもいるかもしれませんが、他人様に色々な迷惑をかけたり、問題を起こす人がいますが、彼らの多くは、この「想像力」が欠けています。自己中心的すぎるために、結果的に自分が起こした行動の先にある自分や他人に与える影響まで想像することができないのです。
曖昧さや矛盾に耐える力
二つ目は、曖昧さや矛盾に耐える能力です。
矛盾した事柄を抱え込めるためには、精神的な成熟と「まあ、いいか!」という発想が必要です。また、時には状況を見守りながら「先送りできる」力も必要です。
正義か悪か、白か黒か、ゼロか百か、という二極化思考では、どうしても見方が狭くなってしまうので苦しくなってしまいます。
「それはそれとして」処理できる心の器も大人の条件には必要になります(詳しくはブログ(柔軟でしなやかな心)を参照ください)。
この能力が育っていないと、良い時と悪い時の感情のアップダウンが激しいものになってしまいます。また、一つのこと(習い事や趣味、仕事など)を継続できなかったり、人間関係が不安定で、思うようにならないとすぐに関係を切ってしまう人などもこの能力が育っていないということになります。
彼らの多くは、この曖昧さや矛盾を心の器で抱えられないんです。
自分を肯定できる力
三つ目は、自分を肯定できる能力です。この能力は、自分のすることを何でもかんでも正しいと判断することではありません。
私たちは、時に間違ったこともするし、失敗もします。けれども、失敗を糧にすることはできるし、間違ったことはその都度、修正していけばいいのです。
自分の能力には限界があるのだから、限界の中でできることをやっていけばいいし、万能である必要はありません。
要は、自分の不完全さを含めて肯定的にとらえることを「自己肯定」と言うんですね。
この能力が備わっている人は、自分の誤りを素直に認めたり、現実にそぐわない行動を改めることができるので、人間関係もうまくいきます。
自分で達成できたことも、きちんと自分で評価できるので、他人の評価にさほど左右されません。
こういう人は、生きるのがとってもラクなんですね。
「取り入れ」から「分かち合い」こそが大人へのステップ
人間の精神は、最初は「取り入れる」段階から始まります。赤ちゃんは、親の愛と関心を取りこみ、栄養、言語、生活技術を取り入れて成長していきます。
そして、じょじょに他人への共感性を発達させ、「分かち合う」段階へと発展していきます。これこそが大人への成長ではないかと思います。
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