皆さん、こんにちは。
アルコール依存症は、「お酒を飲む癖」を意味する医学用語です。
アルコール依存症は、一般的に「甘えている」「意志が弱い」「自己管理能力が低い」などと言われることが多く、彼らなりの生きづらさや苦しさはなかなか理解してもらえないものです。
分かりずらい病理ゆえに、アルコール依存症のメカニズムを理解しておくことは大切なことです。
私自身も大学院時代に「アルコール依存症」については、頭が痛くなるほど勉強しました。
今回は、そんな中からアルコール依存症のメカニズムについて、幾つかポイントを絞って、簡単に解説したいと思います。
アルコール依存症者は二重人格者?
アルコール依存症の方は、お酒に酔った自分と醒めた自分という形の二重人格者です。
逆に言えば、酔った自分と醒めた自分を巧妙に使い分けているのがアルコール依存症者というわけです。
アルコール依存症が長期化している背景には、こういった使い分けが巧妙に行われている場合が少なくありません。
実際、アルコール依存症者の多くは、しらふの時(お酒を飲んでいない時)は実に礼儀正しく、人当たりも良く、信頼の熱い方が多いものです。
しかし、一旦お酒が入ると、乱暴になり、暴言を吐き捨て、色々な問題行動を起こしてしまいます。
これは、日頃から自分の心の中にある「怒り」を抑えに抑えているために、生きにくくなっているのです。
そこでお酒の力を借りて、しらふの自分を救おうとしているわけですね。
結果的に、抑えに抑えた「怒り」を、お酒の力を借りて、ばら撒く形になり、相手や周囲を滅ぼし、信頼をなくしてしまうのです。
この「怒り」の感情の処理が、アルコール依存症の回復へのカギになってきます。
高望みと嘘?
アルコール依存症者の多くは、大なり小なり「嘘」をつきます。
その背景には、「高望み」が関係しているのです。
「高望み」というのは、要求水準が高過ぎるということを意味しています。
こういったタイプの人は、常日頃から色々と頑張っています。
頑張っているといっても、周囲の力を適度に借りながら頑張るのではなく、誰にも頼らず自分一人の力で頑張ろうとしているということです。
「誰の世話にもならない!俺の力で何とでもして見せる!」と自分の力だけで問題や困難に挑んでいこうとします。それだけ、プライドも高いということですね。
本当は甘えたい・・・頼りたい・・・でも・・・
しかし、彼らの本質は、他人に対する「強烈な依存欲求」にあるのです。
この「依存欲求」の反動として、誰にも頼らず、自分一人で何とかしようと張り切ってしまうというわけです。
ですから、彼らは頼り下手で、甘え下手なのです。
そして、彼らにとって一番つらいことは、他人に軽蔑されることです。
軽蔑されて見放されることです。
だからこそ、自分を必要以上に飾ることになるのです。当然、嘘も平気でつくことになります。
見放されることに比べれば、嘘をつくことなど苦痛のうちにも入らないのです。
しかし、悲しいことに、彼らがこうして嘘の生活を続けようとすればするほど、周囲は彼らの嘘を見抜き、彼らから離れていきます。
そうなると、今度は自分を責めて、自分自身をいじめ抜いてしまうのです。
ですから、アルコール依存症の方は、無責任で能なしの怠け者である自分を人前にさらけ出すことによって、自分を処罰しているというわけです。
「怒り」の解放と精神療法
精神療法では、まずアルコール依存症を抱えるクライアントとの関係に「基本的信頼感」を確立していくことを目指します。これは全く体験的なことですから、口で言っても分かりません。
アルコール依存症を抱えるクライアントの場合、はじめのうちは、セラピストを色々と裏切ります。
最初のうちは、きわめて「良い子」のふりをしていることが多く「次回必ず来ます!」と言って来なかったり、「もうお酒は止めます!絶対に!」と言っては、また飲んだり、そういったことを色々やって試したり裏切ったりします。
でも色んなことをあれこれやってみても、セラピストはセラピストとしてそこにいて、決してセラピストの方から本人を裏切るようなことはない、ということを信頼してもらえるようになることが、ベースになります。
そして「人間というものは必ずしも自分を見捨てる人ばかりではないんだなぁ」という信頼ができた時に、はじめて本音を吐けるようになります。
たとえば、「先生は嫌いだ!ムカつく!」とか「もう来たくない」ということも堂々と直接言えるようになるのです。
それがその人の本当の気持ちなのですから表現しても構わないわけです。
こういったことが自由に表現できるようになってくると、つまりは適切に「怒り」を表現できるようになってくると、初めて自分の中にある、もう少し先にあった「怒り」、そのほとんどが「親」とか「夫婦関係」の問題ですが、そういうことを色々と検討する対象にできるようになってくるのです。
ここまでくれば、しらふの自分と酔った自分をわざわざ使い分ける必要がなくなります。つまり、酔う必要がなくなってくるというわけですね。
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