皆さん、こんにちは。
「そうするべき」・「こうあるべき」という発想を抱いて日常生活を過ごしている方は多いかもしれません。
これらの「~すべき」という発想は「自動思考」と呼ばれていて、自分の意思に関わらず、自動的に働いて、行動をコントロールしています。
今回はこの「べき」論について考えてみたいと思います。
無数にある「べき」の種類
朝は歯をみがくべき・朝は顔を洗うべき・帰宅後は手を洗うべき・夜はお風呂にはいるべき・何でも自分で解決すべき・失敗は避けるべき・学校(幼稚園・保育園)に行くべき・みんなと仲良くすべき・毎日勉強すべき・テストでいい点を取るべき・いい学校へ行くべき・いい仕事に就くべき・しっかり仕事をするべき・いい母親でいるべき・いつも家を片付けておくべき・育児書通りの子育てをすべき・人に優しくすべき・争いは避けるべき・人と上手く付き合うべき・何事も全力で頑張るべき・いつも笑顔でいるべき・・・
日常生活から倫理・道徳的なことまで、枚挙に暇がありません。
しかも、人によってはもっと細かく「べき」を持っています。
朝の歯磨きは3分、歯磨き粉は3cm、右上から順に左下へ、うがいは3回すべき
テストの点数はどの教科でも毎回90点以上は取るべき・・・
ざっくりでも細かくても「べき」に行動をコントロールされている人はたくさんいます。
自分の意思が伴っている、やりたくてやっているのなら何も問題はありませんが、これらの「べき」の支配が強くなりすぎて意思に関わらず発動してしまうと、激しい場合は生活に支障をきたすこともあり、ある意味あなたを縛る呪文のようなものになってきます。
「べき」が身につく過程
では、これらの「べき」はどこから来たのでしょうか?
幼少期からの集団生活の中で、ある程度の「べき」は教えられ、学習することで身に付きます。
しかし、日常生活に支障をきたすほどの強い「べき」のほとんどは、幼児期から長い時間をかけて家庭の中で刷り込まれるものです。
その根本にある一番の「べき」論が「ちゃんとすべき!」というものです。
そこには、不安の強い母親が世間体を気にして「人様と同じようにしなさい」「普通にしなさい」「それなりの人間になりなさい」というあいまいなメッセージを込めていて、受け取る子どもにしてみれば、一体何をちゃんとすべきなのかがいまいちよく分からないまま「ちゃんとすべき」という自動思考だけが大きく育ってしまうのです。
そして、大きくなり過ぎた「ちゃんとしなきゃ」という思考は、「ちゃんとしなきゃ、お母さんに見放される」という不安に結びついてしまい、更に子ども達の行動を縛っていきます。
ちゃんとしないと見放される!
臨床現場で出会う子ども達の中にも、「ちゃんとしなきゃ見放される」という不安が大きくなりすぎて、本来の力が発揮できない子がたくさんいます。
そして、子ども達が見つけた「ちゃんとすべき」の答えが、終わりのない確認行動、手洗い、過呼吸、パニック、ひきこもりなど、様々な形で現れてくるのです。
これは大人になってもそのまま残ることが多く、その最たるものが完ぺき主義や強迫性(潔癖症など)です。
そして、この「べき」論は、親から子へ、子から孫へと世代間連鎖を引き起こします。
気が付いたら自分が自分の母親のような口ぶりで、母親と同じことを自分の子どもに言っているのはこのためです。
どこかで「べき」論の連鎖を断ち切らない限り、家系の繁栄とともに脈々と続いていくことになります。
「べき」論からの脱却
「べき」が少ない人は、ルールに縛られていないので、生きるのがラクです。
しかし、全く「べき」が無いというのも無法地帯化してしまい困るので、ある程度の「べき」を持ちつつ、上手くバランスを取ることが大切になってきます。
自分に必要なある程度の「べき」は、失敗や経験を重ねたり、自分で必要性に気が付いたりして自然に身につきます。
本来はそれで充分なので、家庭でたくさんの「べき」を刷り込む必要はないのです。
「朝歯を磨くべき」を早いうちから教え込まなくても、「朝歯が汚れていて、学校でからかわれてイヤな思いをした」とか「虫歯になって痛い思いをした」などという体験をすれば、「朝は歯を磨こう」と自分から行動するようになるでしょう。
べき論から脱却する③ステップ
STEP1:自分の中の「べき」を書き出してみる。
日常生活から、子育て・仕事・人間関係、信条に至るまで、自分の中にある「べき」をなるべく細かく、思いつくままに書き出してみましょう。
STEP2:その行動を「やりたくてやっているのか?」と、自分(相手)の意志確認をしましょう。
あなたの意志に反している「べき」があなたを苦しめている可能性があります。
STEP3:あなたの「べき」とは全く反対の価値観を考えてみましょう。
- 「宿題をすべき」に対しては、「宿題なんてしなくてもなんとかなる」
- 「失敗はしてはいけない」に対しては「失敗してもいい」
- 「朝歯を磨くべき」に対しては「歯なんて磨かなくてもいい」「虫歯になったら歯医者に行けばいい」
など、真逆の発想を考えてみてください。
「それでもどうにかなるかも?」という気になってきたところから実行してみましょう。
一つでも「べき」をひっくり返せたら、気持ちがとてもラクになりますよ。
もしあなたが親という立場で、子どもにたくさんの「べき」を強制しようとしているのならば、あなた自身が「べき」から脱却できていない証拠かもしれません。
まずは、自分の中の「べき」と向き合って、そこからの脱却を目標にしてみてはいかがでしょうか?
【関連記事:『ほどよいお母さんのススメ』『手洗いや確認行為がやめられない”強迫症状”の苦しさ』『こころの健康と病気の境界線!?』】
最新のコメント一覧