皆さん、こんにちは。
皆さんは、どういった時に「自分」という感覚を強く感じることが出来るでしょうか。
例えば、普段気持ちよく羽毛布団に包まれて寝ている時には、快適なので「自分」というものはあまり認識する必要がありませんね。
また、立って歩く時には、ある程度重力を感じながら、「歩いているのは自分だ」と感じやすいですが、慣れてしまえば、あまり感じなくなってしまいます。
一方、走ると風を切る感覚があるので、歩くより走っている時の方が自分だという感覚があるでしょう。
その代わり、走ることにはストレスがかかりますね。
寝ているよりは立っている方がストレスだし、立っているよりも歩く方が、歩くよりも全速力で走る方がストレスです。
このようにある程度のストレスを感じている時こそ、私たちは「自分」を感じることが出来るのです。
「自分」を感じる時!?
私達は通常「やってはいけない」と言われていることをした時に、すごく自分というものを感じます。
世の中が「盗んではいけない」という時に、「やってやれ!」と思う。内心「まずいなぁ」と思いながらも「盗んでしまった・・・」という時に、「自分」を感じることが出来るわけですね。
やってはいけないはずのことを、ルールや規範に反して行動に移している自分がいる時にこそ「自分」を感じることが出来るのです。
これは一線を超えてしまっているわけですが、そういうことをしないと自分を認識できない所まで自分が失われてしまっている方がいます。
ナルシシスティック(自己愛)という落とし穴
難しい言葉で言えば、それだけナルシシスティック(自己愛的)になっているわけですね。
万引きを繰り返す人は、「自分」というものを強調したい人、自己認識したい人でもあります。
こういった心理は、摂食障害(拒食症・過食症)についても同様のことが言えます。
そもそも、わざわざ食べて吐くというのは、一般的にはやってはいけない行為なので、「それをやっている私」は、風を切って走っている状況と似ていて、自分を感じることができます。
しかし、その一瞬だけしか自分を感じられないので、手放せなくなってしまっているのです。
いざ辞めてしまうと空虚で、自分がなくなってしまったみたいで、苦しくて苦しくて仕方がなくなってしまいます。
様々な心の問題を背負いやすい人は、ほぼナルシシストの傾向があり、自分だけに周囲の関心が注がれていると思い込んでいる場合が多く、一方で、他人には全く興味や関心を持っていない場合が少なくありません(詳しくは「幼児的万能感」を参照)。
残念ながら、こういった傾向は、何もせず時間の経過と共に自然と落ち着いてくることはありえません。
ただし、適切な心理ケアとご家族への心理教育を行うことで、徐々に改善が見られ、精神的に成長されていくケースも多く見受けられます。
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