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皆さん、こんにちは。
前回、子どもの目的と親の目的に違いが出てくる場合がある、というお話をしました。

今回は、そんな場合に、自分らしさを獲得することができなかった子ども達がその後どうなるのか、を考えてみたいと思います。

自分らしさを獲得できないまま大人になると?

子ども達(子どもの時代)にとっての最終目的は「自分らしさ」の獲得です。

「自分らしさ」を獲得することができて初めて、青年期になり自立して社会に出て、精神的にも成熟して、自分を守りながら生きていくことができるようになります。

しかし、未熟な親御さんが自分の目的を最優先させてしまった結果、子どもの目的である「自分らしさの獲得」を邪魔してしまい、子どももまた成熟できなくなってしまい、社会に出ることが難しくなったり、社会に出ても適応することが難しくなってしまうことがあります。

では、「自分らしさ」を獲得できなかった子ども達が大人になると、どのような傾向が現れてくるのでしょうか。

傾向① 自分のことが分からない

まず、自分らしさが分からないので、自分のことがよくわかりません

今までの人生を真面目にただひたすら他人(親)中心に生きてきたので、いざ自分でやるぞ!となっても自分のことがよく分からないので、どうしていいのか分からないのです。

また、「本当の自分」が分からなくなっているので、一人でいると何をしていいのか分かりません

常に、「親の望む自分」を演じてきているので、自分に何かの役割を期待してくれる人がそばにいてくれないと、寂しくて不安でたまらないのです。

これは、ある意味自然なことだと思います。

親の言うことをすべて受け入れて生きてきたので、親のために、とか誰かのために尽くす、頑張ることはできても、「自分を大切にする」とか「自分のために頑張る」ということが分かりません

だから、親(家)から離れられなかったり、親以外でも決定力・発言力・リーダーシップのある人を心の拠り所として頼ってしまいます。

ときに、拠り所となる人の存在が、自分の存在や社会的通念や善悪といった判断よりも優先されるといったことも起こりえます。

傾向② 周りに流される

これといった目標や目的が持てず、ただ周りに流されるように生きています

自分の意見や考えを述べることが苦手で、気持ちを表現することも苦手です。

自分自身の欲望や好き嫌いの感情、倫理観に基づいたものではなく、世間が「いい」といえば「いい」し、周りの雰囲気を見て「面白くなさそう」なら「面白くないだろう」という感覚があります。

その結果、何が正当かという確信が持てず、いつも「これでいいのだろうか?」という漠然とした不安を抱えています。

何がよくて何が悪いのか、自分はどうしたいのか、したくないのか、自分で決められないのです。

だから、周囲の人には「何を考えているのか分からない人」だと思われて、周囲が放れていくこともあるでしょう。

また、「何をしても怒らない人」とか「何を頼んでも断らない人」などと思われて、仕事を押し付けられたり、いいように利用されたりする場合もあります。

傾向③ 虚勢を張る

それとは逆に、自分がないことを周りに悟られまいと、虚勢を張り、「自分は何でもできる!」とビッグマウスに振る舞うパターンも考えられます。

しかし、こういう場合は、相手とある程度の関係ができてくると、都合の良さを周囲はうすうす感じ始めるので、仕事も人間関係も長く続けることができずに、すぐに断ち切ってしまうこともあります。

幼い頃から、権威的な親にすべてを与えられ、支配されてきたとしたら、「自分はすごい」という幼児的万能感から脱却できないのも無理ありません。

いずれにしても、社会に適応することが難しかったり、安定した人間関係が築けなかったり、社会に出ること自体ができなくなるということも考えられ、苦労することは間違いありません。

もっと親に認めて欲しかった・・・

自分らしさを獲得できずに成長し、大人になって苦労されている方達が、子どもの頃を振り返ってよく口にするフレーズが、

  • 本当はもっと親に認めてほしかった。
  • 親は私のことを全然見ていなかった。
  • ずっとさみしかった。

というものです。

勉強ができてもできなくても、スポーツができてもできなくても、これといった特技や秀でるものがなくても、「お前はそれでいい、今のままで充分だ」と「親に認めてもらう」だけで、子ども達は自分らしさを見つけて、自分の力で生きてゆけます。

是非、今一度、親の子育ての目的が、子どもの目的とかけ離れていないか、親の理想が最優先されていないか、振り返ってみて下さい。

少し意識するだけでも、子ども達の将来が大きく変わってきます。

 

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